Glacier Bay  Last Ice Age


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Kayaking


あるとき、ジョンズ・ホプキンス湾をパドルで無数の氷塊を掻き分けながら、湾の最奥部までカヤックを進めた。ジョンズ・ホプキンス氷河は、この旅の最終目的地であった。氷河の末端部に近い、岩と瓦礫ばかりの小高い丘に上陸した。そこか見渡す氷河はあまりにも巨大で、その氷と岩の無機質な空間に圧倒され、ただただ、氷河から吹き降ろす冷たい風に身をさらすばかりであった。周囲を氷河を抱いたフェアウェザー山脈がジョンズ・ホプキンス湾を取り囲み、切り立ったフィヨルドの岩壁からは、無数の水滴が巨大な滝となって海に降り注いでいる。山脈から吹き降ろす風は、7月にもかかわらず、肌を刺すような冷たさであった。この生命のかけらさえ見当たらないような風景に身を置くと、何処か別の惑星にカヤックで辿り着いてしまったような孤独感を感じ始めていた。


氷河が運んできた堆積土にあがって行くと、そこには早くも植物遷移の兆しが見られ、名も知らぬ高山植物が花を咲かせていた。そして、その場所で大きな動物の糞を見つけたのだ。そのときの衝撃は今でもはっきり憶えている。このグリズリ−と思われる大きな糞はまだ、水分を十分に含んでおり、ここ数日または今日、グリズリ−がこの場所を歩いていたことを如実に物語っていた。いったい、どうやってこの場所まで辿り着いたのだろう。そして何故、食物が極端に乏しいこの場所にグリズリ−がやってきたのだろう。辺りを見渡しても孤高なグリズリ−の姿は見当たらない。周囲を氷河と切り立った絶壁に囲まれ、マウンテン・ゴートですら敬遠しそうな絶壁を伝わってきたのだろうか。それとも、びっしりと氷塊が浮かぶ湾を泳いできたのだろうか。足元に生えていたはずの若い植物の葉は、すべて何物かによって食いちぎられていた。この場所にたどり着いたとき感じていた孤独感は、いつのまにか、得体の知らない恐怖感に変わっていた。まだ近くにいるのではないかと丹念にグリズリ−が上陸できそうな場所を双眼鏡で調べてみたが、どこにもその姿を見つけることはできなかった。ここを悠々と訪れたグリズリ−の孤高な姿を想像し、これほど野生動物に対して畏敬の念を抱いたことはなかった。


かつて、グレーシャーベイで暮らしていたクリンギット族の人々は、フィヨルドの海を巨大な木をくり貫いたカヌーで旅をしていたという。現在、グレーシャーベイ国立公園では、彼らの居住や狩猟は一切、認められていない。彼らはアイシー海峡を挟んで、グレーシャーベイ国立公園の対岸の、フーナという居住地に暮らしている。



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