Kayak





潮に逆らい、腕の感覚を失いつつ漕ぎ続ける。
入り江を廻りこむと、そこには巨大な氷河を懐に抱いた山がそびえたっていた



カヤックとの出会い



広大なアラスカは、そのほとんどは手付かずの自然で覆われている。
しかし、今まで僕が旅していた場所は常に人の形跡(人工物)が残され、動力に頼った手段にゆだねられていた為に、この広大なアラスカの大地を、何か大きな劇場の中で観覧しているような感覚を覚えるようになっていた。21才で出会ったアラスカの広大さに圧倒され、様々な場所で、様々な野生動物に出会ったが、そこには常に人間の為だけに道路がひかれ、野生動物は人間を意識した態度での振舞いを僕に見せ続けていた。
もっと遠くへもっと果てのない場所をたった一人で心から味わいたいと感じていた頃、自分の思いつく限り、最も遠く果てのない場所は北極圏のブルックス山脈だった。


飛行機に乗り、眼下を見れば、何処までも蛇行を繰り返しながら原野を流れる川が幾つも見ることができる。
しかし、僕が眺めていた川の河岸には、今まで一体何人の人間が立ったことがあるのだろう。
グリズリーやオオカミ、ムース、そしてカリブーはきっと、この視界の何処かにいるはずなのに、ここからは到底、見ることができない。
もし、眼下を流れる川の河岸に立ち、そこでグリズリ−の気配に怯え、川を渡るカリブーの大群に出会ったとしたら、どんなに素晴らしいことだろう。
そんなときに出会ったのが折りたたみのできるカヤックだった。
価格は目が飛び出るほど高かったが、所持金のほとんどをはたいてそのカヤックを買って、真っ直ぐにブルックス山脈のノアタック川に行ってしまった、まだカヤックに乗ったこともないくせに・・。1997年、今から7年前のことである。



水上飛行機にカヤックと食料、キャンプ道具を積みこみ、眼下を流れる念願の北極圏の川を見下ろしていると、何故だか突如、不安に襲われ、ひき返すなら今しかないのだと思いながら、パイロットにいつ戻ってくれと言おうかタイミングをうかがっていたことが懐かしくおもう。
とうとう、言い出せないまま、目的地の川の近くの小さな湖に下ろされてしまった。
パイロットはあっという間に荷物を下ろし、「グット、ラック!」といって飛び去ってしまった。
川を下るのに湖に下ろされ、大量の荷物を2時間もかけて川まで運び、そこでカヤックを組み立てようとしたのだけれども、購入してからまだ一度も完全に組み立てたこともないことをすっかり忘れてしまっていた。
とにかく、組み立てて川を下らない限り、人間界には戻れないので、必死になって組み立てたが、そう簡単には上手く行くはずもない。
常に、背後の茂みに注意を払いながら4時間かけてようやく形らしく組み立てることができたが、何故か部品がひとつだけ余っていた。
その日は1時間ほど試しに(といっても生死に関わるので必死だったが・・)漕いだが、案外、安定もよく無事に野営に適した場所を見つけることができた。
夕暮れ時、対岸の斜面に1頭の黒っぽいオオカミが、さかんに地面の匂いを嗅ぎながら、過ぎ去っていった。




翌日、朝起きて愕然とした。
テントまわりにクマの足跡があったのだ。
その足跡は、随分前につけられたものなのかと最初は思っていたが、よく見ると僕の靴の足跡の上にクマの足跡があった。
足跡を追跡してみると、背後の茂みから真っ直ぐに僕のテントに向ってきて、テントを一周するように遠巻きに廻り、1ヶ所で立ち止まった形跡があった。
それから、また再び、背後の茂みに戻っていったらしい。
どうやら、ようやく念願の果てしない大地に辿り着くことができたようだ。
ここはもう、人間の世界ではなく、時空を超えたクマの世界なのだ。
僕は毎日、川を下りながら強烈な緊張感と強烈な孤独感(この地球上にたった一人だけ残されたと、この川旅の間中、ずっと思っていた。)を体験し、早く戻りたいとばかり思いながら、旅中に出会うカリブーやオオカミ、赤キツネ、そしてグリズリ−に心を奪われていた。
この頃はまだ、あまり写真を撮っていなかった。
川旅の途中で一度、ひっくり返り、新品のカメラとレンズを水没させていたし、その前にもシャッターを切った憶えがないので、恐らく余裕がないほど必死だったのだろう。
しかし、今、ここで7年前の夏の出来事を思い返してみると、脳裏に鮮明に映像が映しだされるし、北極圏の香ばしい大地の匂いも感じることができる。


このときの強烈な体験は更なる旅へと僕を向かわせ、カヤックを漕いでグレーシャーベイの氷海の海をし、カヤックでクジラやシャチの群れを追い、そして入り江の奥深くの神秘の森を旅してきた。
様々な野生動物に出会い、繋がりを感じ、心から安心感を感じることもできた。
これからも、カヤックを使って旅を続けていきたいと思う。
かつて、この広大なアラスカの大地と海を自由に旅してきた先住民たちのように。




野営に適した場所に着き、カヤックと荷物を引き上げテントを張る。
テントの中に寝袋を敷き、荷物を整理し、濡れた衣服を脱ぎ、着替える。
薪を集め、火をおこし食事の準備を始める。
お米が炊きあがるまでの間、コーヒーで一息入れ、ご飯ができたら、一気に食べつくす。
食器を洗い、後片付けを済ませ、再び火に薪をくべながら、再びコーヒーを沸かす。
お気に入りの本を読み始めると、すぐに睡魔が襲ってくる。
テントに戻りあっという間に眠る。
しかし、テントの外の気配に目が覚めてしまう。
今晩もクマの存在が気になる・・・。





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