旅の始まり
1994年の9月、僕はアラスカにいた。それまで一度も日本を離れたことがなかった。突然に、アラスカへ行こう、行かなければならない、そう思ったのだ。自分が自分であるための何かが、そこにはあるような気がした。
少年の頃、テレビで毎週放映されていた「野生の王国」が大好きだった。番組が始まる直前は楽しみでソワソワしていたことを思い出す。それほど大好きだったのだろう。番組がエンディングをむかえる時、いつも、「動物ってすごいな、僕も大人になったらこんなところ行きたいな。」って思っていた。子供ながらに生命が生き残るための厳しさや、ひたむきさ、そして野生動物の背後に広がる広大な大地に憧れを抱いていたのだと思う。その頃、少年の僕が惹かれていた大地は、アフリカの乾いた草原、サバンナであったり、背後に雪を抱いた山脈が連なる中央アジアのステップ地帯であったり、極北の荒涼としたツンドラであったりした。僕が惹かれていた大地は、生命が生きてゆくには厳しい土地のように思われた。しかし、そこには生命が必ず存在していた。サバンナの長く厳しい乾季が終わり、雨季が訪れると乾いた草原は緑の世界に変貌し、野生動物の出産シーズンが始まる。雪と氷に閉ざされた暗く長い冬が終わると、ツンドラの大地に花が咲き乱れ、膨大な数の渡り鳥たちが繁殖を始める。そんな静と動の世界に、特別な感情を抱いていたのだと思う。少年の頃の僕は、決してそのようなことは意識していなかったけれども、今、アラスカやカナダを旅して、少年の頃の僕がそのまま旅を続けていることを意識できる。
21歳の9月、アラスカは既に秋を迎えていた。80リットルのザックに見よう見真似でキャンプ道具を詰め込み、ひとり、悠々とデナリ国立公園でバックカントリーに出かけた。生まれてこの方、キャンプなどしたことはなかったけれども、そんなことは、そのときの僕にはどうでもよかった。とにかく、アラスカの大自然の中でひとり、キャンプをしたかった。キャンパーバスを降り、未舗装のパークロードを離れやわらかな高原ツンドラに足を踏み入れると、心から自由になれた気がした。燃えるように赤く染まった秋のツンドラに吹く風は心地好く、ふかふかとした大地に足を取られながら歩くことに疲れると、その場に腰を下ろした。自分の手が届く範囲にはブルーベリーやクランベリーの実がたわわと実っていて、その味は、甘酸っぱかった。見渡す限りの赤色の大地はすべて、これらの秋の恵みで埋め尽くされていた。遠くの稜線に目を移すと、何かが動いたような気がした。じっと目を凝らし、双眼鏡を取り出してその辺りを隈なく観察してみると、子供を2頭連れたグリズリーだった。母グマは絶えず地面を前足で掘り返したり、ブルーベリーの実を口で上手にすくうようにして、一心不乱に食べている。小熊は、常に母グマのそばでじゃれあっている。僕は、このグリズリ−の親子を目にしてから、突然、緊張感と不安で心細くなってきた。直前までの風景は一変し、ツンドラの大地は息を吹き返していった。今、僕は野生の王国にいる。少年の僕が一番憧れていた世界に今、僕は実際に立っているのだ。
夕食を簡単に済ませ、コーヒーを沸かして夕焼けに染まるアラスカ山脈をぼんやりと眺めながら、遠く離れた日本のあわただしい時間を思った。随分と遠くまで来てしまったものだ。Mt.マッキンレーにだけ、何故か雲がかかっている。後片付けを済ませ、テントに潜りこむとき、再度マッキンレー山のある辺りに目をやったけれどもやはり雲は晴れなかった。寝袋の中で今日出会ったグリズリ−の親子の姿を思い浮かべた。今ごろ、何処にいるのだろう。テントのキャンバス地をはさんだ外の世界にグリズリ−がいることを思うと、なんと自分は無防備な存在なのだろう。奇妙な興奮とグリズリ−の世界に怯え、なかなか寝付くことができなかった。暗闇の中を吹き渡る風の音にすら怯えてしまっていた。
夜中に突然、小用を催した。暗闇の恐怖と寝袋の中の心地好さに負けて、外に出る勇気がなかなかでない。とうとう限界にきてしまい、意を決してテントから這い出した。外は満天の星空だった。冷たい極北の風に吹かれながら用をたしていると、いくつもの人工衛星の光がゆっくりと、極北の星空の中を通りすぎてゆく。人工物の全く見当たらない原始の世界に一条の人工衛星の光を見ると、奇妙な感覚と共に何故だかホッとさせられた。
翌朝、テントに差し込む光で目を覚ました。テントのジッパーを開け、入り口から顔を出すと、目の前に巨大なマッキンレー山がそびえていた。壮大な雪と氷河を抱いたこの北米最高峰の山と麓に広がるツンドラと針葉樹の森の姿に圧倒されていた。アラスカの人々は、この山を畏敬の念をもってデナリと呼ぶ。先住民の言葉で「偉大なるもの」というらしい。昨日はデナリ山にだけ雲がかかっていたらしく、どこにあるのかはっきりしなかった。今、こうして目の前にそびえるデナリ山をひとり眺めていると、「来年もまた、僕はここにいる。」と確信した。
こうして僕の旅が始まった。極北にゆったりと流れ行く時間に惹かれ、自分の身をそこに置くという大きな目的が生まれ、そのためのライフスタイルが始まった。日本で旅費を稼ぐためのライフスタイルは今も変わらない。自分が大好きな土地をもっと知りたいという欲求は、際限なく溢れだし、次の旅への原動力となっている。
北には何かを駆りたてる壮大な夢がある。
2003年4月 松本茂高
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